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移民讃歌EP02 上原盛毅

移民讃歌EP02 上原盛毅

第一回の芥川賞はブラジル移民をテーマにした石川達三の『蒼氓』(新潮社)であった。一九三五年、作者が三〇歳の時である。彼自身ブラジルに渡航し、農場に滞在して、その体験に基づいて書き上げたといわれる。タイトルの厳しさとは逆に、簡潔、平易な文体で読みやすい。

 作品は三部からなり、第一部「蒼氓」、全国から一千名近い移民希望者が神戸の「国立移民収容所」に集まり、八日間の渡航訓練を受けるのだが、彼らの殆どはブラジルがどこにあるのか想像もできないような素朴な農民たちである。貧困ゆえに故郷を離れざるを得ない事情やしがらみを抱えながら、中には偽装家族を構成してまでも移民する東北農民の家族も含まれている。それらの葛藤を乾いた筆致で淡々と描く。偽装家族とは「五〇歳以下の夫婦及びその家族」という移民の条件を満たすために二つの家族の男女が形式的な結婚届を出して一つの家族に成りすますものであり、初期の募集段階から移民会社の誘導によって頻繁に行われていた。

 第二部「南海航路」ではこれらの集団が移民船に載せられ、後戻りのできない四五日間の船旅により故郷への思いを断ち切り、ブラジルでの生活に期待を寄せる心境になっていく。

 そして、第三部「声なき民」では移民船がブラジルに到着し、各々の家族がグループ毎に機械的に引き受け先の耕地へ配置されていく。偽装家族の人達も配属された人たちも配属された耕地で、先輩移民の手ほどきを受けながら屋根と壁だけの小屋を家らしく整え、新移民としての第一歩を踏み出す。先輩移民から「成功しようと思って来るとブラジルは地獄だ。しかし、ただ食ってさえいればいいという者には極楽だ」という言葉を背に男たちはすぐに働き始める。偽装家族の女はここにきて今まで避けていた仮の夫と本物の家族になる覚悟を固める。ブラジルに着くまでただ流れるままに従順であった女が大地に腹を据えて生き抜こうと決意するところで小説は終わる。

 ブラジルへの日本人の移民は一九〇八年に始まるが、この小説の書かれた時代は一九二九年の世界恐慌が日本にも及び農村の疲弊は著しく、政府は人口問題の解決の一つとして海外移民を奨励する。特に、渡航費補助政策の影響は大きく、年間一万人以上の人たちがブラジルへ渡航する現象を引き起こした。それに対する作者の批判の目を作品の紙背に読み取ることも出来るが、それよりも作者が「移民」を描きながら、あえて『蒼氓』というタイトルにしたのはなぜか。当時の社会が共有する移民の概念とは違う、もっと大きな時間の流れの中で、新天地に根を下ろそうとする名もなき人々の歴史的な意味を心底に受け止めたからではないかと思える

 『蒼氓』が発表されてから五〇年後に同じ芥川賞作家の北牡夫が日本移民を扱った『輝ける碧き空の下で』という作品を発表する。全社hがブラジルへ移民する農民たちが神戸の移民収容所に入り、ブラジルで生活を始めるまでの二か月間の様子を描いているのに対し、こちらは一九〇八年の第一回ブラジル移民から第二次世界大戦で中断されるまで続いた一九万人の移民たちを足跡を二部構成で描く壮大な歴史物語である。医者の居ない移住地でマラリヤで倒れた人達、配耕地からの夜逃げ、追放、育て上げた作物を根こそぎ食い荒らす蝗の大群、収穫前の降霜によるコーヒー樹の全滅など初期の移民の惨憺たる失敗や挫折の経緯を丹念に追いながら、それらの厳しい試験を乗り越えて生き抜き、生活の基盤を築き上げていく移民の群像に焦点を当てる。

 ブラジルへの移民はハワイや米国への入国制限が厳しくなったために注目されるようになった。ブラジル側は一八八八年の奴隷貿易の禁止による労働不足に対応するため欧州から移民を入れたが、あまりの労働環境のひどさに欧州側が中止したので、日本人移民を導入する計画に飛びついた。そのため当初は日本からの渡航費、受入れ費用などはブラジル持ちの好条件を提示している。それに食い込んだのが皇国殖民会社で、「五〇歳以下の夫婦とその家族三人以上」を毎年六月までに一千人送出する契約を結ぶ。

 こうして、一九〇八年、移民会社扱いの第一回ブラジル移民七八一人が笠戸丸に乗船した。沖縄三二四人、鹿児島一七二人、熊本七八人、広島四二人、山口三〇人、愛媛二一人、高知一四人、宮城、新潟各一〇人、東京三人である。沖縄が全体の四〇%以上を占め、突出しているのは前述の移民会社がブラジルとの契約上、早急に移民を募集しなければならず、移民熱が高く、募集活動が容易な沖縄に集中的に行った経緯に寄る。この会社は全く無責任で、乗船した移民たちから、安全のためと称して携行資金を預かり、会社の経費に使い込んでブラジルに着いても返さないという破廉恥な行為を行っている。また、募集要項と現実とには大きな差があり、第一回移民の多くは配耕地から転出、夜逃げなどで定着していない。杜撰な移民会社により移民がどれだけ苦労したか。第一回沖縄移民の代表城間真次郎は生涯その恨みを忘れなかったといわれている。

 この小説の圧巻は戦中から戦後にかけてブラジルの日本人社会で起こった「勝ち組」(信念派)、「負け組」(認識派)の騒動事件である。ブラジル政府は戦争勃発とともに日本と外交関係を断つが、米国のような弾圧は行わなかった。しかし、日本語は禁止されており、日本からの情報はなく、日本が戦争に勝ったというデマがまことしやかに流れ、圧倒的な力を持った。「勝ち組」の一部が「負け組」の有力者を国賊として殺傷する事件に発展し、ブラジルの官憲が介入することになる。そして、初期移民で、この物語の主要な登場人物の一家族は「勝ち組」を信じ、築き上げた全財産を処分して日本行きの切符や円を手に入れるが、全くの詐欺であり、無一文になるという悲劇でこの小説は終わる。作者は当初予定していた第三部で復活させるつもりだったと思われるが、書かれず仕舞になってしまい、『輝ける碧き空の下で』というタイトルの壮大な移民史物語としては後味の悪い結果になっている。

 なお、小説には移民の変わり種として、第一回移民の沖縄出身の少年儀保蒲太(当時一三歳)が配耕地から夜逃げし、サンパウロで偶然拾ってもらった賭博場の親分に見込まれ、賭博王として名を馳せるエピソードが盛り込まれているが、その数奇な生涯については比嘉憲司著『イッパチの夢を賭ける』(沖縄教販)により詳しく描かれている。

 移民をテーマにした小説では同じく芥川賞作家で、沖縄出身の大城立裕の作品『ノロエステ鉄道』がある。短編小説集で、ブラジルの二編「ノロエステ鉄道」と「ジュキアの霧」、ボリビアの「南米ざくら」、ペルーの「はるかな地上絵」、アルゼンチンの「パドリーノに花束を」の五編が収められている。

 前述の『蒼氓』や『輝ける碧き空の下で』は作者が真剣に「移民」を特別しすることもなく同じ立ち位置から描いて、登場人物も沖縄系の人達だから、国や地域とは違っても私たちの生活感覚の延長線上にある物語として受け止められる。

 アルゼンチンの「パドリーノに花束を」は同地の県人会の有力者が沖縄からアルゼンチン移民受入れ計画を進めることによって様々な葛藤が生じる話だが、この移民計画には別の場面で私も係わっている。私がJICA(現国際協力機構)アルゼンチン事務所に勤務していた頃、日本から移民を受け入れるにはどんな適地があるかという視点で農業技師と二人で各地の予備調査を行ったことがある。その一つに南部のコロラド河流域の灌漑農業開発計画があったので、同地で開発公団総裁と会い、私たちの評価は灌漑施設が未整備で、水量不足の恐れがあり、寒冷地で大消費地に遠く、問題が多いとして報告書を提出し、そのまま忘れてしまっていた。

 ところが、上述の開発公団の総裁と在亜沖縄県人会の有力者に接点ができ、地元の州知事も絡んで、開発計画地へ沖縄から一〇〇家族の移民を受け入れる計画が持ち出された。県人会の有力者はそれを受けて沖縄県に働きかけたのである。当時の西銘順治知事が関心を示し、県独自の現地調査を行った上で、JICAに話が持ち込まれたから、東京本部に帰っていた私が現地経験者ということで担当を命じられた。

 七〇年代後半にもなると移民熱は下火になっていた時期であり、東京サイドの動きは緩慢だったが、JICA内の移民事業と開発協力事業がコラボするモデル事業という案が組み立てられると、急に動き出した。専門家による現地調査団を再三派遣し、JICA副総裁も団長として乗り出したので、ゴーサインが出されたも同然だった。アルゼンチンからは公団総裁が来日し、関係者と協議を重ね、私の案内で駐日アルゼンチン大使とともに沖縄を訪問、西銘知事と会談して、ぜひ実現しようと意気投合した。そこへ突然、フォークランド戦争が起こり(一九八二年)、この計画はオジャンになった。その後のアルゼンチンの混乱を見ると実現しなくてよかったとは思うが、当時は沖縄県と移住事業、開発協力事業の三者が一緒になった初めてのモデルプロジェクトということで注目を浴びたのも事実である。そして、日本政府の関与する海外移住事業はこれが最後となった。明治元年のハワイ移民から紆余曲折を経ながら一世紀を越えて、百万人以上の日本人を海外に送り出した移民の歴史はここに幕を閉じたのである。

 最後に、沖縄出身の作家池上永一の『ヒストリア』(角川書店)を挙げる。山田風太郎賞を受賞した六二九頁の大作である。ただし、これは「移民物語」の範疇に入れられるかどうか。ボリビアの沖縄移住地が主要な舞台になっているとはいえ、登場人物も事件も虚実入り混じってハチャメチャな展開をするので、スリルとサスペンスに満ちたエンタメとしては十分に楽しめるが、これまでの作品とは肌合いが違うからである。しかし、各々の事件を見据える目は確かなので、楽しみながらも心に何かが残る仕組みになっている。

 主人公のヒロインは沖縄戦真っ只中に爆弾で家族を失い、瀕死の状態から生き延びるが、まぶいを落とす。そのため、自分の分身が現れ、生身の人間のごとく動き回り、主人公と同時並行的に奇怪な運命に翻弄される。米軍の高等弁務官との交友、裏切り、逃亡、そして、ボリビアの沖縄移民に身を投じる。うるま植民地で熱病にかかり死線をさまよったり、移民とともにパロメティーリャを経てコロニア・オキナワに移住するのだが、三重スパイの元ナチ高官と敵対したり、ミサイルをめぐる米ソの対立に巻き込まれたり、ボリビアに潜入したチェ・ゲバラの活動については彼が逮捕される二日前まで記録した『ゲバラ日記』(角川文庫)が残されており、それを基に映画「チェ 三九歳別れの手紙」が製作されている(二〇〇九年)。私はボリビア勤務時代にゲバラが潜伏していたバジェ・グランデ地帯を知らずに種豚調査しており、その半年後に彼が仲間と処刑され、その遺体の無惨な写真が報道されて、キューバ革命の英雄の末期にショックを受けたことがある。

 話を小説に戻すと、主人公はコロニア・オキナワに居を構え、コロニア三世と結婚し(結婚式にはケネディ大統領やフルシチョフ首相から祝電が来る!)、一女をもうけるが、夫は現地の人たちと土地問題でもめ、射殺される。それにも耐え、移住地で成功し、まぶい落としを最終的に解決するため沖縄に帰るが、ユタの導きによって解決寸前、米軍基地のフェンスに阻まれてしまう。「現在も、私の戦争は終わっていない」の言葉でこの作品は締めくくられる。

「移民物語」は多様で、複雑で、新鮮で、興味が尽きることはない。